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2008年5月

お知らせ

「花咲く道」ブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。

この度ブログをこちらに移しました。

更新は明日からまたやっていきます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします!

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胃痛むと朝餉をぬきて

朝々の洗面すめば夫(つま)の顔勤めにむかふきびしさをもつ

 

胃痛むと朝餉をぬきて出でゆきし夫のこと一日心を去らず

 

ありし日は夫を疎(うと)みし人の骨抱きて夜更け夫帰り来ぬ

 

母30代前半の頃の作品です。

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さつき一鉢

(はは)逝きし後憚(はばか)らぬひとつにて家居のわれの足音高し

 

貧血と知りたる後もわれのみの昼餉(ひるげ)にさして手数をかけず

 

われのみの昼餉炬燵(こたつ)に運びくるこの気安さも慣れて思はず

 

魚を焼くにほひまじれる夕風のなまあたたかし街並み行けば

 

家内に眺むは白き花よしとさつき一鉢置きて寝につく

 

一~四句目、祖母が亡くなった翌年の作品で、母が37歳の時でした。

(三句目、少々季節はずれの句が入りました。)

五句目はそれからちょうど10年後の作品になります。

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野のすみれ

野のすみれ湯呑にさしぬ

               永病みて外に出づるなき老い姑(はは)のため

 

いささかの慰めとならむ常臥しの姑の窓辺に朝顔を植う

 

祖母がまだ生きていた頃の歌で、母は34歳でした。

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打たれしに

打たれしにこだはり夜半(よは)を目ざめつつ

                冷えて流るる涙を拭かず

 

紅ひきて少しは心和みたり眠り足らはずたゆき朝に

 

わが貌(かほ)の如何に老けしか

         過ぎし日に親しき人はふりむかざりき

 

打たれしに、との言葉を選んではいますが、実際には父に殴られた母でした。母が菊作りの先生か菊作り仲間(男性)と楽しくお喋りをしていたからとかいうあまりにも馬鹿げた理由からでした。今でもあの時の青く腫れた母の顔を思い出すと、可哀想でなりません。父が生きていたなら、私がこの歌を掲載することに大反対したでしょうが、その父も亡くなり4年が経ちます。母が36歳の時の作品です。

 

ひとときの平安にして目覚むればかへる悲しみ抱きて眠る

 

眠れずに明けし一日は目つむれば暗きに沈む心地に耐ふる

 

今日は悲しい歌ばかりを集めました。これはそれぞれ、母が37歳と46歳の時の作品です。どんなつらい出来事が他にもあったのか、私にはもうわかりません。

 

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相通ふ思ひを

まだ小さき苗にしあれど手入れする指先しるく菊の香はたつ

 

菊作る友の来れば相通ふ思ひを持てる楽しさにをり

 

母は花の手入れが好きで上手でした。鉢植えのさつきやつつじなど、我が家の廻りに沢山あり、全て母がまめに手入れをしていました。いつ頃からか母は菊も育てるようになりました。秋の菊花展に出品するような大菊です。菊作り仲間が近くにいて、時々家に来てもらっては色々おしえてもらっていたようでした。母が44歳の時の作品です。

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苺摘みゐる母を思ふ

この朝も苺摘みゐる母を思ふ夜明けの床に雨を聞きつつ

 

選果前の苺は山とつまれゐて甘きかほりは作業場に満つ

 

新潟の苺の収穫は、6月に入ってからでしょうか…まだひと月以上早いですね。

ごく初期の作品で、母が32歳の時でした。

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苺畑は

三人の孫を思ひて友作る苺畑は花盛りなり

 

母の親友のことを歌ったもので、母が59歳の時の作品です。

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相容れぬ思ひもちゐき

相容れぬ性いだきつつ舅姑(ちちはは)と諍(いさか)ひもなし嫁して十年

 

諍ふといふにあらねど相容れぬ思ひもちゐき姑(はは)ありし日は

 

一句目は、母が32歳の時の作品です。この時既に、母が嫁いで14年ほど経っています。何年も寝たきりだった祖母が亡くなったのは、母が36歳の時でした。二句目は、一句目の12年後、母が44歳の時の作品です。

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野ばらの匂ふ

自転車をひきて歩めり夕風に野ばらの匂ふ径(みち)に入りきて

 

幾日もかかり田の草取り終へて野ばらの匂ふ夕道帰る

 

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望まざる嫁といはれし

土踏まぬ草履(ぞうり)いくつもいでてきぬ永く病みたる姑の遺品に

 

亡き姑が病みてこもりし六畳を出てきて夫(つま)の姑にはふれず

 

祖母はいつも病みてゐたりといふ子らに

               健やかな日の姑を語りぬ

 

朝々を我に結はせて亡き姑は髪切らざりき永く病みても

 

かへりみて悲しみもなし望まざる嫁と云はれしとほき日のこと

 

一、二句目は祖母が亡くなった年の作品で、母が36歳の時でした。続く三句はその翌年の作品です。

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姑逝きしのち

(はは)ありて保ちしわれの緊張か姑逝きし後幾日も臥す

 

喉はれて食物何も要らざれば臥しをり逝きし姑思ひつつ

 

私が中二の時の夏休みでした。祖母は高熱が出て危篤状態になりました。亡くなる時まで高熱が続いたように記憶しています。祖母の葬儀が終わった頃に、今度は母が高熱を出し寝込んだのですが、じきに私も同じように熱を出して一緒に寝込みました。まるで、祖母の熱がこちらに移ったような気がして、二人して不思議な気持ちがしました。

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朝暗き部屋を点して

(こた)へなき姑(はは)に向ひて姑の子ら

         こもごも己(おの)が名をいふあはれ

 

(おとろ)へて眠れる姑が唐突に亡き舅(ちち)呼ぶをまじまじと見き

 

朝暗き部屋を点して冷えそめし姑の死顔を剃りてととのふ

 

永病みし姑の柩に朝夕にみがきてやりし入歯も納む

 

年永く歩めず逝きし姑の脚細々として足裏うすし

 

年永く病みたる故に姑のお骨灰多くして抱けばかろし

 

祖母が危篤状態に陥る前、何日も高熱が続いたように記憶しています。このとき母は36歳、私は中学二年生で、夏休みの間の出来事でした。

二句目のことは今も良く覚えています。意識が無いように見えた祖母が、突然目を開けて祖父のことをはっきりと呼んだので、母はとても驚いたと言っていました。

祖母が亡くなくなったのは夜中のことでしたので、兄も私も眠ってしまっていたのですが、何年も後になってから母が私達に、「あのとき、夜中でもお前達を起こせばよかった、ひとが死ぬということはこういうことなのだよと見せるべきであったかもしれない」と言ったことがありました。

祖母の葬儀が終わった頃に今度は母の具合が悪くなり、なぜか私も同じ状態になったのですが、二人で1週間も寝込むことになります。

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